Hamaguri Ryoko-Soloris Works

ソロ活動のリス改め「はまぐり涼子」、絵を描く。

「心の中心の椅子に自分が座らない」という友人の言葉。

自分が住んでいる場所のせいか、

自分がささやかながらも絵を生業としていこうと決めてからか、

ここ7年くらいで沢山の作家やフリーランスで仕事をする友達が増えました。

フリーランスで生きて行くことは、

会社という組織で働くよりも大変だと思う方が多いでしょう。

私自身、二足のわらじでやって来たものですから、

まず外的要因がなかったら踏み出すのはまだまだ先だったかもしれません。

フリーランスを選んだ人達の中には、

自分の手で作ったものを自分の手で世に出して、

それが人に喜びや幸せをもたらすのを直接見たいと思う人が多いと思います。

会社が嫌、なのではなくて、

自分が主体となって動き、人に届けることが楽しく、

そこに厳しさとつらさがあったとしても、

誰かに「それは私のやった仕事じゃないから」と責任転嫁する必要もない。

実際のところは、いろんな会社の方とやりとりして、

今まで以上にコミュニケーション能力を問われるし、

自分で全て交渉しなけれなならないし、何かでつまづいたら

起き上がるにも全て自分の責任という大変さもあります。

 

 

絵を書いたり、文章を書いたり、音楽を奏でたりするという行為は

人間が生み出した素晴らしい表現であり、

心の糧であり、自我の表現です。

どうしたって、何らかの時点でだれかに見てもらいたいという

欲求は発生します。

だから私も描いているのですけれど、

自分が無心になって描き続けられるようにと

いつも願っているし、祈ってもいます。

私にとって、絵を描くことは時にセルフヒーリングであり、

それがいい形で出来あがると、おもいがけず

他の人にもリラックス効果を及ぼすこともあります。

邪念なくいい意味で自己のためにしたことが、結果的に他の人の為にもなる、

そんな働きができたらいいなと思います。

 

そのために、いつも心に留めていたいのが、

「心の中心にある椅子に自分自身が座らない」ということ。

この言葉は、私が8年前に出会った友人

岡田直子さん(アースマンシップ)の言葉です。

 

f:id:soloris:20171220012404j:plain

 

「仕事は自分で獲得したものではなく、天からの預かりもの。

心の中心の椅子に自分が座らず、きちんと祈って、求めて生きていれば、

必ず、今生で預かるべき仕事(役割)が見えてくる。」

すごく大事なことをいつも教えてくれる彼女の言葉です。

自分には少なからず絵を描いて表現する才能を与えられて

それを認めてくださる方々がいるのなら、

それは私がすごいのではなくて、この才能も天からの預かりもの。

そう思うと、少し自分を冷静に見ることができるし、

本当に自分が表現するべきものを無心に探すことができるような気がします。

他力本願?スピ系な発言?

まあそう思われる方もいるのかな。

でも、この世って、人間だけで回ってませんからね。

才能が天から与えられているとか、

何かのために祈るって、〇〇の神様という信仰対象がなくても

人間が驕らないためにもとても大事な行為だと思います。

自我の表現、だけど、自分本位にならない。

そのバランス、この微妙な感じ、まだ私の言葉で

きちんと表現しきれていないように思うのですが、

とりあえず、忘れないうちにここ数日考えていた

この言葉のことを書きとめておこうと思います。

 【コンテンツの転載を禁止します】