Hamaguri Ryoko-Soloris Works

ソロ活動のリス改め「はまぐり涼子」、絵を描く。

はまぐり日記 2018年 個展「物語への入り口」を振り返る 其の一

ご無沙汰しております。

4月26日から30日までの個展が無事に終わりました。

沢山の催しやご予定が詰まっていたに違いないゴールデンウィーク

初っぱなの時期に、お時間を割いて個展を見に来るという

選択をしてくださった多くの方に感謝申し上げます。

予定があって行けませんがどうぞ頑張ってねと

わざわざメッセージを下さった方々にもこの場を借りて御礼申し上げます!

なにせみなさまに自分の一番やりたいことを

お見せできる場は個展だけですから、一回一回が自分にとって

はまぐりの歩みをお知らせすることができる大事な場です。

今回もレインボーステイでしかできない世界観を

SNSだけでなく直に見ていただきたいという願いがありました。

ただいまやや脱力気味で、久しぶりに昼寝しちゃいました。

さて、これから自分も備忘録として、個展までの道のりと

内容の解説を絵日記形式で描いてご報告します。

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【上記のイラスト転載を禁止します】

 

内側と外側の持続可能性

散歩のために家を出る時ポストを覗くと書籍が届いていました。

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昨年9月に取材を受けたインタビューが載っております。

過去に私が働かせて頂いたシンクタンク

アナリストをされている方が書かれた本です。

はまぐりが載っているのは、「事例で見る、働き方改革を牽引する女性たち」

という章の、「組織にとらわれず新たな働き方を模索する女性たち」

という見出しの一例です。

過去上司だった方も載ってるし、ワタクシが載るのもおこがましいほど

ほかの方々の転身は華々しく見えます。

まあ悩んでいる方が読んだ時の、あ、こんな人もいるんだ〜くらいの

参考事例でしょうか。

取材で話したことはなにも隠すことではないのですが

なにせ笑えるのは体力が大事とかいっちゃって、

この三月肩を痛めた自分であります。

身体はどんな仕事をしていても資本ですから、

自分の身体がどんな調子かを早く気づける感覚を維持していたいものです。

 

それはさておき自分が迷ったときに読み返しておきたい

人に言われて心に留めている言葉も取材で話していました。

「色々な人に会って、色々なところを旅して、

沢山遊んでください。それがあなたのアウトプットになる」

いい言葉です、ほんとに。

 

そして、アウトプットのタイミングは人それぞれ、と言った自分の言葉。

私、色々外に表現していくことと結果を出すことが遅い人です。

そんな自分をこれまで組織の中で他の人達に遅れないように

失敗しないように、なんとか帳尻を合わせてきたところが

少なからずあったと思います。

物理的に自分の生活を成り立たせるために、

組織の中で自分のサイズを決めて動いていた時は

色々経験させてもらって感謝の気持ちはあるけれど、

やっぱりどこかで「これがほんとにやりたいことなのか」と

このままの私が持続可能なのか、と問いかける機会が必ずありました。

社会の基準とか固定概念によって抑制していた自分を

少しずつ、少しずつ自由にするタイミングは

私の場合30代後半だったのでしょう。

今は経済的な持続可能性についても、

私が私らしく生きる持続可能性についても

実験中みたいなものかもしれません。

心は持続可能な状態を続けたまま、

はたしてどこまで外的(経済的)持続可能性も広げていけるか。

とりあえずフリーランス出発点を見つめ直すのに

いい記録として頂いたと思っております。

世界平和!

今年の4月1日は、キリスト教においてクリスマスと共に

もっとも大切な復活祭にあたりました。

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たまたま環境的に両親ともカトリック信者だったがゆえに

わたしはキリスト教の聖書の世界を身近に見ながら

育ちましたが、それでも住む町に寺社が多いせいか

日本人として文化慣習伝統としてしみついているせいか、

いまでは仏教も神道の世界もより興味深くもっと身近に

受け入れ尊重しています。

 

鎌倉には寺社仏閣以外にもキリスト教の教団教会も多いので

毎年3月11日には三宗教の合同祈願の式もあったりして

結構柔軟で素敵だなと思う動きも見られます。

 

それにしても日々思うのは、信仰は大切だけれど

組織化された宗教への抵抗感です。

どんな宗教においても。

そして宗教の中の宗派分裂も非常にややこしい。

キリスト教でもやれこっちが本流、いやこっちが本家本元みたいな

小競り合い的印象を受けないこともないこともない。。。

決めてるのは、全部人間のような気がするんですよねぇ。

神様ってそんなに非寛容なの〜?と思うほど

人間がルールでがんじがらめにしている場合もなきにしもあらず。

 

話は逸れますが久しぶりに実家でテレビ番組を見ていたら、

ロシアとヨーロッパの外交緊張など、

なんだか物騒な雰囲気も感じました。

 

みんな~ピースよピース。

世界平和に向かいましょうよ~と私は思うのです。

よく宗教間の争いなんていいますけどね、

もうこの世の中はお金が絡まない争いなんてありませんから。

お金は大事だけどさ、人間の欲望は限りないから困ったものです。

 

大変自己中心的な願いですが、

私は私が死ぬまで好きな絵を通して平和な世界を

描き続けることを希求します。

そんな4月1日です。

うそじゃありません。

「物語への入り口」はまぐり涼子 個展 April 26 to 30, 2018

DMがやっと数日前にできあがりました。

そして、やっと告知が始められます。

作品はまだ絶賛制作中!

土壇場エンジンフルスロットルのワタクシですが、

鍼灸治療で体の調子も戻ってきたので

楽しんでばんばん作ります。

ダブルワークでやってきた数年間ののち、今回イラストレーションと

画文作家活動以外に頼るものなしの状態で、なぜに鎌倉の奥地!

という感じもしますが、昨年レインボーステイでやらせていただいた時から

もう一度ここで物語の世界を作りたいと漠然と思っていました。

内容が決まったのは1月、それに添える物語も作りました。

今回は物語そのものの再現を自分の絵で、という

テーマですが、この場所でなければ作れなかった世界だと思います。

今後同じような環境でグッとくる場所に出会えたら

展示してみたいと思いますが、最初はここレインボーステイです。

絵だけなんかでやっていけない、という言葉は色んな人から言われます。

そんなことは二十代始めに言われて一度進むのをやめてしまったから分かってます。

でも心は求めている。

人生一度きり。

やりたいことをやらず、ああ昔私は絵描きになりたかったんだよね

なんて言葉で終えてしまうにはもったいない人生です。

ここから始まる。

どう転がっても試みたことで一つの後悔はなくなります。

誰かを責めることもない。

絵を書くことは自分の解放でもあるなと感じるこの頃です。 

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DMに載せた小さな箱は、それぞれの物語のメインに添えるサブワーク。

このメインに額を付けたり、家を作ってくれるのが

sadamoriyaという屋号で活動している友人です。

どうなるんだろうか!

お庭にも展示するので、お天気が五日間続くことを祈ってます。

はまぐりの独り言:息抜きの方法

だいぶご無沙汰中のブログです。

書きたいことは日々うかぶのですが、何か気持ち的に余裕のない日々が続き、

最近ちょっと嫌なことがあったのと、

肩の痛みで絵を長時間かけなくなっていました。

それと同時に描きたい絵が生み出せなくて色々なものが停滞していました。

 

ちょっと体の使い方を考えて、一旦仕切り直しするように

信号が出ていたのかもしれません。

 

絵は自分なりのセラピーでもあるとどこかで書いたことがありますが、

私の絵で人にはほんわかほのぼのしてほしいという思いもあって

マイナスなことは描かないと決めていました。

でも最近友人のアドバイスも背中を押すきっかけとなって、

知らず知らずに溜め込んでしまう私は

少し小出しにするのもありかな、と思いはじめ

こっそり黒はまぐりなイラストと文章もデトックスとして

描いてみました。

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でも結局こういうトーンなので笑ってもらえたらと思います。

ホームページのどこかにこっそり載せるかもしれませんが

ちっとひねったネーミングでSNSでもひっそりと載せています。

私が思う「コンニャロ!」ということは、

きっとほかの人も思っている。

見て笑ってそうそう!の後に、

自分も気をつけよう、、、という思いも込めて描いたら

こういうデトックスもそう悪いものでもないかななんて思いました。

 

とにかくここ一ヶ月で、やっとというか今更ながら

自分は息抜きが下手だということに気づいたので、

少しずつ心も体もお掃除中です。

 

少し肩も緩んできたので、絵にも取り掛かって

巻き返したいと思います。

そう、個展が迫っているのでね。。。

あと約一ヶ月、、、、。

おお怖い。

 

 

 

はまぐりの独り言:日々のスケッチ

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ただ絵を描いていてその後何もアクションしなければ

もちろんおまんまの食いあげになるのですが、それがわかっていながら

動けずどうしよ~と悶々としてうちにこもる。

という、ループに陥りかけました。

モノづくりで日々苦労している旦那さんを持つ友人が声をかけてくれて、

ちょっと家から出る理由を作ってくれたり、

ただ話を聞いてくれたりということが

この上なく心の負担を軽くしてくれることがあります。

結局、自分が動かなくては何も始まらないのですが、

「そのにっちもさっちもいかない感じ、わかるよ。話そう、話そう。」

という流れに少しでも持っていってくれるだけで、

なんとなくスッキリしてがんばらなくちゃ、と

動き始めるきっかけになるんですね。

そう。私はたまに聞いてくれる人がほしいわけです。(笑)

だけど聞くっていうのはかなりのエネルギーと包容力を要するので

だれにでもできるものではないわけで、頼るというのはなかなか難しい。

人に会うたび少し浮上しては、また一人になったとき沈下してと

日々気持ちの上下の忙しいワタクシではありますが、

今日友達にこれまでに描きためた日々のスケッチを見せているうちに、

やっぱりこの一枚一枚がその時の私の日記であり、

迷走も爆走も成長記録だなと思いました。

本当に悶々としている時は描けないので滞る。

一気に想像力にエンジンがかかると一日に何枚も描く。

なんと単純な自分。

人によってはスタイルが散漫とか色々ご意見があるでしょうが、

ずらっとスケッチを置いてみると

この日々の揺らぎに加えた関心の分布と推移が

そのランダムさに現れているようで結構面白いなぁと感じました。

なにかしっかりとした作品を見せる前のバラバラなウォーミングアップや

習作を一気に見せることはちょっと恥ずかしい感じもありますが、

そもそも日々を描くのを基軸とするはまぐりとしては、

ここを見せずになんとする、と勝手に思いました。

今年4月の展示についてもかなり前から悶々としていますが、

このスケッチ日記の積み重ねが展示のテーマに関係ないようで

実は縁の下になっているんです。きっと。

去年の展示に向けて動いていた時のアウトプットとはまた違う流れです。

四方八方に関心を向けながら、どこかの時点で

一気に展示に向かう気がしています。

そして、この一見ばらばらのスケッチも

「日々のスケッチ」として展示する機会がもてたらいいなと思っています。

シネスイッチ銀座 映画感想絵日記vol.68. 『ベロニカとの記憶』Jan., 20, 2018

シネスイッチ銀座

シネスイッチ銀座 - 「ベロニカとの記憶」 いよいよ明日20日(土)より公開です!... | Facebook

 

1月20日公開の映画は、イギリス映画。

記憶の揺らぎがある映画だったので、鉛筆の線を残して着色した

柔らかめのタッチです。

【コンテンツの転載を禁止します】

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ジム・ブロードベントシャーロット・ランプリング、ハリエット・ウォルター。

大御所がバッチリ骨格を作り、若い俳優たちが曖昧な記憶の中で

繊細に輝いています。

ぼーっと観ていたら多分色々見逃します。笑

サスペンスとか、ザ・謎解きがメインではないのですが、所々に

記憶の断片がそっと置かれているので是非丁寧に拾って観ていただきたい。

心が拒否するほど見つめたくない真実に直面すると

人間の脳はしたたかにその記憶の形を変えてしまうことがあるのですね。

同じようなことでなくても、みなさんも自分が思っていたことと

他の人の証言や証拠の食い違いを通して、自分が勝手に記憶を

塗り替えていたことに愕然とした経験はありませんか?

きっと色々な受け取り方を味わえる映画だと思います。